「教区同朋大会問題提起」

 5月20日(日)に、長浜教区同朋大会が、米原の滋賀県立文化産業交流会館で開催されました。講師は、教学研究所所長の楠信生氏で、「汝、起ちて更に衣服を整うべし」の講題でお話されました。教区内から住職・寺族・門徒ら約1000人の参加者があり会場は満席でした。
 今回の同朋大会は、来年5月に長浜・五村両別院で親鸞聖人750回御遠忌を厳修するにあたって、長浜別院離脱問題の総括を内容としたものでありたいと言う願いの中で、当時離脱阻止にかかわった者として、問題提起をせよとの要請を受けて、講演の前に私の方から、発表をさせていただきました。
 長浜別院離脱事件が起こって40年、最高裁判所の判決によって別院離脱阻止ができ、正常化になって22年、随分年月を重ね、今ではその事件すら知らない世代が多くなってきましたが、当時体験した者が、別院離脱問題から学んだこと、また問われたことなどを正確に伝えていく責任があると認識し、下記のような問題提起をさせていただきました。
 私自身も今一度別院離脱事件はいったいなんだったんだろうかと、その問われた意味を再確認して、これからのお寺のあり方をご門徒と共に考え、協議しながら具体的な取り組みを推し進めていきたいと思っています。


平成29年度教区同朋大会問題提起要旨

 発表者 秦 信映

教区は、来年5月に長浜・五村両別院において、親鸞聖人750回御遠忌を厳修いたします。かねてよりこの御遠忌は、40年前に起こりました長浜別院離脱問題の総括を基本とすることが話し合われてきました。
 昭和54年7月の夏中最終日に、当時の別院住職であった大谷暢順氏が、正式な機関にもかけず、別院を大谷派から離脱するとの声明をしましたことから、住職を支持する僧侶・門徒のグルーブ、離脱に反対をする僧侶・門徒のグルーブ、そして、傍観的な立場をとっていた僧侶・門徒の3つのグループに分かれて、17年間にわたって、厳しい戦いが始まり、教区内は大混乱に陥りました。

 事件は平成8年1月の最高裁判所の判決によって、宗派・別院側の完全勝訴が決定し、大谷暢順氏の画策された離脱を阻止することができ、解決することができましたが、私たちが身をもって体験した別院問題は何であったのかを問うてみたとき、3つのことが問われたことに気づきました。

一つは、「お寺は何のためにあるのか」
2つ目は「お寺は誰のものなのか」
3つ目は「私たち一人一人が真宗門徒になれているのか」

でありました。私たちのお寺は何代にもわたって世襲されてきたため、住職をはじめとして寺に住む者も門徒も、お互いに全く意識にのぼらないほど深く私物化が進んでいることに気づかされたのです。当時のお寺のあり方は、住職から見れば「門徒は住職のことさえ聞いておればいい」「お金さえ出してくれればいい」と言うような権威的・貴族的な態度、門徒から見れば、「お寺のことは住職に任せておけばいい」「住職のおっしゃる通りして居ればいい」というような無関心・無責任な態度でありました。時を同じくして国内ではオーム真理教による地下鉄サリン事件が起こりました。若い信者に瀬戸内寂静さんが、「辛いことや苦しいことがあったら、近くにお寺さんがあったでしょ、麻原彰晃のようなところへ行かず、お寺さんに行けばよかったのに・・・」と質問したら、若い信者は「私にとってお寺は単なる風景でした」と答えたとお聞きしています。お寺が権威だけを保持しようとし、社会の様々な変化に対応しきれないまま、寺として一番大切な教えを伝える働きを失っている現状を言い当てられたような気がしました。

 私のお寺でもこのようなことがありました。当時教区の事業として指定同朋の会と言う取り組みがありました。是非私のお寺も指定を受けたいと役員に相談しましたら、役員から「住職そのようなことはやめときましょう。昔からお寺と言うものは、『お寺とどてらはよく似てる、冷たくならなきゃ用がない』と言うんです。住職は法事と葬式に参ってくださればそれでいいのです。」といわれました。

 ショックを感じましたが、そんなお寺に私たちがしてきたのです。建物など形だけはあっても、人びとが生きるための教えを受け取る場でなくなってしまっている現状を言い当てられたような気がしました。そのように共々に仏様の教えが生活の中からどんどん離れていく滅法の危機意識が失われておりながら、「うちのお寺は何もかもうまくいっている」「何の問題もない」と、私物化の湯の中にどっぷりとつかってる実態を知って、愕然とするこころすら失ってしまっているところに問題の根があると気づかされました。

 寺が本来の聞法道場としての機能を回復し、時代の要請に応えていける開かれた寺の誕生を願う時、住職と門徒が共に歩むことの大切さを確認し、共に一丸となって具体的な取り組みをしていかなければなりません。このことが来年の教区の御遠忌を迎える意味だと私は思っています。
 その具体的な取り組みは、すでに当時の教区会などで3点に集約決定され、教区門徒会員の人のご尽力で「寺を開くための手引き」が作られ、現在でも各寺の責任役員・総代研修会のテキストになっています。

 Ⅰ、「責任役員・総代を門徒全員の選挙によって選ぶこと。」

 すなわち役員の公選制です。当時のお寺の役員は、私のお寺でもそうでしたが、多くのお寺では、住職の指名であったり、家柄や一部の門徒の持ち切りであったりしました。寺院規則にある門徒の衆望を期する人の中からとは程遠く、公性を失った人選と言わねばなりません。
 昭和56年に本山では宗憲が改正されました。本願寺教団から同朋教団への画期的な大転換です。最大の目玉は門徒の宗政参加の道が開けたと言うことです。何人の専横専断を許さない、公議公論に基づく宗門運営がはかられたと言うことです。各お寺に於いても、公選で選ばれた責任役員・総代の中から組門徒会員を選出し、組門徒会の正副会長が教区門徒会を構成し、その中から参議会議員を選び、選ばれた議員は本山で話し合われたこと、又、決まったことなどを教区に持ち帰り教区門徒会へ報告し、そこで協議報告された事案を組門徒会へ持ち帰り報告する。組門徒会員はそのことを各寺へ持ち帰り、他の役員へ報告する。すなわち寺から組。組から教区。教区から中央へ。中央から教区へ。教区から組。組から各寺へと、循環運動のパイプ役になっていただくのが組門徒会員の任務なのです。教区で長らく「代表者の自覚と実践」をテーマにしてきたのもそうした願いがあったからです。

 Ⅱ、必ず毎月一回寺に於いて住職と門徒の役員会を開くこと。

 各寺で公選された責任役員・総代が月例の役員会を開催することが提案されました。協議内容は、営繕とか財政の問題などだけではなく、教化事業とか、お寺の課題や問題を共有し、寺で解決できない問題は組の方へ上げていくことなど協議していただくことになりました。

 Ⅲ、同朋会の開設・充実

 これらの三本柱からなる取り組みは、住職と門徒との距離を縮めるための大切な働きがあると考えたからです。そしてお互いが責任を担って未来のお寺を創り上げていくために必要だと確信しているからです。
 別院離脱問題が惹起して40年。正常化になって22年。今では離脱問題も知らない世代や、「いつまで昔のことにこだわっているのだ」とかおっしゃる方もおられます。しかし別院問題を単なる一事件として見るのではなく、私たち一人ひとりがその意味を深く認識して、これからのお寺をどうしていくのか考えて行かなければ宗門の未来はないと思います。
15年前に私のお寺で蓮如上人500回御遠忌を計画し役員会に諮りました。すると門徒さんから「住職、御遠忌をするのもいいけど、ごえんさんのまつりやったらしないほうがいい。するんだったら門徒の者がこぞって参加できるような御遠忌を勤めてほしい」と言われました。御遠忌というと、僧侶が立派な装束を身に着け大きな声でお勤めをする。お練りなどの光景が坊さんの祭りに見えているのだと思います。結局門徒はお金だけ出して置いてきぼりにされる、そのように感じておられるのだと思います。来年の教区の御遠忌は、門徒さんと共に作り上げていく御遠忌でなければなりません。そして、今一度「寺は何のためにあるのか」「寺は誰のものなのか」「私たちは真宗門徒になれているのか」、別院離脱問題から問われた課題を確認し、具体的な三本柱の実践を各お寺で確実に取り組んでいくことが、別院問題の総括につながることだと思っています。
 今回問題提起の場を与えられ、当時別院離脱阻止にかかわってきた一人として、来年の御遠忌をお迎えするにあたって、教区が受け取らなければならない大切な課題を申し上げました。

 

2018年05月21日